「女性の中にただ一人」
日常会話もそこそこできるようになって天狗になり始めてきたアメリカ生活2年目、やりました…大失態!それは、ワシントン州の田舎にある大学でSociology(社会学)のクラスを取っていた時の話。その日はクラスの男女が別々に分かれ個々のグループで意見をまとめる授業。きっと教授がその説明をしたんだろうけど、それが理解できず、なんの疑いもなく流されるまま、私は女性グループの中へ….そして悲劇はここから始ったのです。 当時の私はロン毛、スリムジーンズ、体重は50Kgそこそこの痩せ体型、おまけにアメリカ人の女性はみんな大きいので完全に女性として溶け込んでいたのです。時間が過ぎること20分、さすがの私もその内容の異変に気が付き、コソコソと男性グループの方に移ろうとしたところで、クラスメート全員が気が付き大爆笑。さすがの私も顔を真っ赤にさせて、残りの時間を過ごしたのを覚えています。
「アメリカの刑務所」
私がかつて住んでいた田舎町「ワシントン州 Walla Walla」。この町にはアメリカの凶悪犯が集まる有名な刑務所があります。私、なんとこの刑務所に入ったことがあるんです。いやいや、別に捕まったわけじゃないですよ。大学の社会見学で行ったんです。アメリカの刑務所の中を見た経験のある人って少ないでしょう。日本の刑務所の中を見た人もそんなにいないか(笑)。意外と自由な感じで、芝生なんか綺麗だし、服役中の囚人の髪型もロン毛だったり、監獄にはテレビもあって、憩いの場みたいなテラスまでありました。さて、社会見学ということで、なんと服役中の方と学生が話をする場がもうけられたのです(これも凄いことだと思いますが…)。そこでの囚人AさんとBさんの話を紹介しましょう。
「Aさんの話」
Aさん:
「刑務所に入ってずいぶん長いんだけど、職業訓練とかで大学の単位が刑務所でも取得できるんだ。俺なんか大学卒業の単位を取得したし、理容師の免許なんかも刑務所で取得したよ。凄いだろ!もういつ外に出ても大丈夫だぜ!」
学生:
「刑期はどのくらいなんですか?」
Aさん:
「懲役123年!」
「Bさんの話」
Bさん:
「俺が刑務所に入った時の刑期は3年くらいだったんだけど、脱獄の常習犯で何十回と逃げたから結局もう10年近くここに入ってるよ。でも今の俺は模範囚だからもうすぐ出れるんだ。ワイフと娘に早く会いたいよ!」
学生:
「娘さんは、おいくつなんですか?」
Bさん:
「娘は今、2才だよ!」
学生:
「10年間、刑務所にいるんですよね?なのに、娘さんは2才なんですか?」
Bさん:「言ったろ!俺は脱獄の常習犯だって!」
「遭遇!エアロスミス」
ボストンの日本食品店でアルバイトしてた時のお話。アジアの食べ物は健康に良いとアメリカ人の間でも広まり、私も生活費を稼ぐため、アメリカ人相手にレジ打ち、接客、仕入れなんてことをやっていたものです。ある日、このアルバイトしていた店にとんでもないお客が登場!なんとエアロスミスのヴォーカリスト・スティーブンタイラーが来店したのです。モデルのような美女を二人、肩を抱き引き連れ、冷凍食品の入ったガラスケースの方へ!格好はお馴染みのスリムジーンズにド派手のTシャツ!背は意外にも私より低かったです(ちなみに私は173cm)。狭い店だったのでその時いた店員は私だけ。サインを頂こうと「Are you Mr.Steven Taylar?」と聞くと、返答は店内中に聞こえる大きな声で「Oh! Yeah—!」あまりの派手さに圧倒されましたが、さすが伝説のロックヴォーカリスト、これでは終わらない!お買い上げになったのは冷凍のタイヤキ2匹!その冷凍のタイヤキを支払い後、いきなりレジの前で口へパクッ!そして美女2人とタイヤキをくわえて、世界のロックスターは去っていったのです。たった10分間ぐらいの出来事でしたが、世界No.1のブッ飛びを満悦した一日でした。
世界で有名な日本人と言えば、映画の巨匠「黒澤明」、ジョンレノンの妻「ヨーコ・オノ」そして…. この人を忘れてはいけない、世界のマエストロ「小澤征爾」!
私がまだアメリカはボストンで学生をしていた頃、道を歩いていたら高級リムジンが信号で止まりました。「こんな車に乗れるのはどんな人なんだろう?」と遠目に車の中を覗いたらなんと中にいたのは、当時のボストンシンフォニー常任音楽監督「小澤征爾」!「おお~!カッコイイ~!」それから信号が変わるまでの数分間ストーカーのように車の中を覗き続ける怪しげな学生の私になんと、マエストロ「小澤征爾」は満身の笑顔で手を振ってくれたのです。「世界一の幸せ者だ~俺は~!」
ボストンには小澤征爾伝説が数多くあります!有名なのは…「寿司屋で客全員にサインしちゃった事件」。とにかく人柄が極端に良い小澤征爾はサインを断らないそうです(某ボストン在住寿司職人談)。ある日、寿司屋で一人のファンにサインをしたらそのまま大行列ができてしまい、並んだ全員にサインして帰っていったという話です。世界のマエストロはなんて凄いんでしょ!
ワシントン州の田舎町のバーでよく飛び入りでギターを弾いていた頃の話。ある日の夜、いつものごとくギターを弾き終わって、カウンターで飲みなおしていると、あきらかに怪しげなロックな風貌のおじさんが声をかけてきました。「お前のギターってマジでCOOL!だぜえ!どうだい!俺んところ来ないか?」と言って名刺をくれました。なんとまあビックリ!そのおじさんは同じワシントン州のスポケーンという都市で音楽プロダクションをやっている方。その頃の私はまだ学生だったので「ごめんなさい、行けません….」と断ってしまいました。今思えばあの時、いっしょに行っていれば、仮に泣かず飛ばずともアメリカデビューが実現していたのかもしれません。しかし一方で、もし行っていたら、その後、バークリー音楽大学でアメリカでの師匠・トモ藤田にギターを教えてもらうことは無かっただろうし、帰国後、日本での師匠・ミッキー吉野に拾われ、ゴダイゴ流の音楽哲学を学ぶことも無かったのですから・・・やっぱり人は運命に従い一つの道しか歩けないですね。